『逃げ上手の若君』天皇暗殺を企てた公卿・西園寺公宗の悲劇―実弟の密告、妻の目の前で訪れた最期【後編】 (4/5ページ)
これが本当かどうかはともかく、同年に7月に北条時行は信濃で挙兵。一時鎌倉を占領するなどしています。
この中先代の乱の広がりは、公宗のその後を決定づけました。
当初、公宗は出雲国へと流罪が予定されていたようです。しかし北条氏による反乱が危険視され、処分は重い方向に進んで行きます。
8月2日、流罪途中で公宗は名和長年によって処刑。享年26。一目会いたいと訪れた妻・日野名子の目の前での首を斬り落とされたといいます。
ショックを受けた名子はうめき声をあげてその場に倒れ込みました。そしてほどなくして名子は公宗の子である男児を出産。その子はのちに西園寺実俊と名乗り西園寺家を継承していくのです。
近代には、西園寺家からは西園寺公望を輩出。首相となって激動期の日本の政治をリードしています。