遊女への豪遊が「砂糖の値段」を吊り上げた?オランダ人も虜にした丸山遊郭と江戸スイーツの関係 (3/5ページ)

Japaaan

茶を点てる際には船橋屋の羊羹が注文されることが多かったといいます。

船橋屋では小倉や百合、薯、紅、栗など十数種の羊羹が作られ、その品質は最高級と評価されていました。

ちなみに明治期に入って大名や旗本、寺院が没落すると船橋屋もその流れに合わせて衰退。代わって勢力を伸ばしたのが虎屋です。

このように、江戸時代は上流階級が羊羹を好んだ一方で、吉原の遊女たちは金つばやさつま芋を好んだとされます。特に金つばは、女性への手土産としても人気がありました。

丸山遊郭とオランダ人

このように砂糖の値段が江戸の食文化に影響を与えた一方で、遊廓の存在が砂糖の相場を左右したという記録も残っています。

享保十七年、長崎の和蘭屋敷に出入りした丸山遊廓の女郎は、延べ24,644人に達しました。ものすごい数です。

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これほどの人数が出入りする場では、遊興費も莫大な額になるのが当然です。

そこで、遊郭に出入りしていたオランダ人がいました。彼らが遊郭で支払った遊興費の正確な額は不明ですが、その費用を捻出するために、彼らは日本の商人に砂糖を高い値段で買わせたとされます。

丸山遊廓での交際費が、砂糖の相場に影響していたのです。

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