わずか18歳で羽柴秀次の切腹事件に殉じた美少年・不破万作がたどった儚く謎多き生涯 (2/4ページ)
若くして羽柴秀次(秀吉の甥で養子)に仕え、小姓となります。しかし文禄4年(1595年)7月、いわゆる秀次事件に際して、秀次が切腹するよりも先に殉死してしまいました。享年18歳。
『豊臣兄弟!』理不尽すぎる粛清…15歳の美少女・駒姫、罪なき処刑へ——「秀次事件」の悲劇万作の事績はこれ以外に伝わっておらず、秀次に小姓として仕え、先んじて殉死した以外のことはよくわからないままです。
※伝承では名古屋山三郎・高木某と並ぶ森家の三勇士と称され、古寺の怪異を退治したと言われます(上掲画像)。ただし不破万作が森忠政に仕えたという史料の裏付けはありません。
そんな万作がなぜ歴史に名を残したかと言えば、後世「天下三美少年(戦国三美少年)」の一人に数えられたからでした。
美貌と武勇を兼ね備えた若武者たち
不破伴作(右)と名古屋小山三(左)の競演。四代目歌川豊国筆。
いつ誰が決めたのか、天下三美少年(戦国三美少年)とは次の三人を指します。
