わずか18歳で羽柴秀次の切腹事件に殉じた美少年・不破万作がたどった儚く謎多き生涯 (3/4ページ)

Japaaan

不破万作 名古屋山三郎(なごや さんざぶろう) 浅香左馬之助(あさか さまのすけ)

名古屋山三郎

天正4年(1576年)生~慶長8年(1603年)5月3日没

はじめ蒲生氏郷に小姓として仕え、槍の名手として知られました。傾奇者でもあり、出雲阿国を妻として歌舞伎の祖になったとも言われます。

浅香左馬之助

生没年不詳

はじめ織田信雄に仕え、その後は主君を転々としました(蒲生氏郷・石田三成など)。美貌と武勇で知られ、山三郎と一番槍を競い合ったこともあるそうです。

彼らは「国色無双(国士無双のもじり)」とも呼ばれており、美貌と武勇を兼ね備えた点が共通しています。

もしかしたら、万作も従軍経験はなくとも武芸に秀でていたため、選ばれたのかもしれませんね。

いつの時代も美少年はもてはやされるものですが、美貌だけでは生き残れませんから、武勇も重視されたことでしょう。

演じられた美少年の争い

歌川豊国「不破」より、不破伴左衛門(右)と名古屋山三(左)による恋の鞘当て。

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