『逃げ上手の若君』貴族の血を引く反逆者!悪党・瘴奸の実在モデル・平野将監の生涯【前編】 (4/5ページ)
倒幕計画発覚!将監は朝廷方として行動する
時代の変わり目は、悪党であった将監を時代の中心へと誘っていきます。
元徳3(1331)年4月、後醍醐天皇の倒幕計画が発覚。六波羅探題は調査に乗り出しました。
これ以降、朝廷と幕府との間で対立が深刻化。後醍醐天皇は京を脱出し、笠置山に立て篭もる行動に出ます。
これを受けて河内国では悪党・楠木正成が挙兵。下赤坂城に籠城して幕府軍を迎え撃ちました。
朝廷と幕府の対立が深刻化する中、将監ら悪党の動きは活発化していきます。
同年、将監と近しい楠木正成による和泉国若松荘で略奪事件が発生。同年7月には、教性らが摂津国猪名荘において略奪事件を起こします。
これは後醍醐天皇が幕府との戦を想定し、兵糧所として悪党側に与えた場所だったようです。
そこを鎌倉幕府側が差し押さえており、悪党から攻撃を加えられたと考えられます。
同年8月、東大寺側は過去の略奪事件に関することで将監を提訴。しかし六波羅探題は「平野は西園寺家の重臣」として、悪党であることを信じませんでした。
実は将監は以前から西園寺公宗の家人として仕えていたようです。