保元の乱の首謀者は超・愛猫家?悪左府、藤原頼長が900年前の日記に残した愛猫への溢れる情熱 (3/4ページ)
最期には衣に包んで葬った
さらに目を引くのが、その後についての記述です。長生きした猫が死ぬと、頼長は「衣に包み、櫃に入れて葬った」といいます。ここで重要なのは、「だから頼長は心優しい人物だった」と単純に結論づけることではありません。
兄・忠通との対立や保元の乱に至る政治過程を見れば、頼長を一面的な人物として扱うことはできないからです。むしろ、この短い逸話によって、これまで「悪左府」という言葉で括られていた人物の別の輪郭が見えてきます。
政治の場で見せた顔と、私生活で大切にしていたものは、必ずしも同じではなかったのでしょう。
宮廷では猫も暮らしていた平安時代の貴族社会で猫が飼われていたことは、ほかの史料からもわかります。例えば宇多天皇は、日記のなかで自身の飼っていた黒猫について触れています。
また、『枕草子』には、一条天皇のもとで飼われた「命婦のおとど」が登場します。宮廷で飼育され、名前まで与えられていたことからも、人々との距離の近さがうかがえます。
猫には鼠を捕るという実用性もありました。ただ、宮中で名前を付けられ、可愛がられていた存在を考えると、それだけで説明するのは難しそうです。頼長の逸話も、こうした平安貴族と猫との関わりを考える材料になります。
「悪左府」の日記に残った小さな出来事藤原頼長の人生を大きく分けるなら、摂関家の権力争いと保元の乱が中心になります。父・忠実と兄・忠通との関係。崇徳上皇との結びつき。そして、保元の乱での敗北。歴史の教科書で取り上げられるのも、当然こちらです。
けれど、『台記』を残した本人にとって、日々は政治だけで成り立っていたわけではありません。少年時代に飼った生き物の病を案じたことも、十年近く経った後に振り返ったことも、その人の人生の一部でした。
