【豊臣兄弟!】本多忠勝vs加藤清正「小牧・長久手」“幻の一騎打ち”と2人に隠された意外な共通点 (5/7ページ)

Japaaan

しかし大名格に出世してからは、よほどのことがない限り、後方に控えて全体の指揮を執っていたと考えるのが普通です。

そして、少し言葉が悪いのですが、軍事指揮官は単なる「戦バカ」では務まりません。つまり、忠勝も清正も、槍働き以外の才能があったからこそ10万石以上の領地を与えられ、数千という軍勢を動かす指揮官として認められたのです。

賤ケ岳での加藤清正(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

忠勝や清正が生きた戦国時代において、大名たる第一の資格は軍事的才能だったでしょう。

しかし、それだけでは領国を管理できません。そこには、政治的な才能も必要でした。

実は秀吉が清正に期待していたのは、財務官僚としての仕事でした。記録に残るだけでも、豊臣家の播磨国や和泉国にあった蔵入地の代官を務めています。

また、秀吉による九州平定・肥後国人一揆の後にも、同地で検地を実施し、税を徴収する仕事を任されました。

このような不安定な政治情勢のなかで、難しい仕事をこなす政治力こそが、清正のもう一つの真骨頂だったのではないでしょうか。だからこそ秀吉は清正に肥後半国、約25万石を与えたと考えることができます。

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