【逃げ若の史実】わずか20日の鎌倉奪還!北条時行「奇跡の逆転劇」が足利尊氏を“暴挙”へと追い詰める (3/5ページ)

Japaaan

鎌倉幕府滅亡後、京都では建武政権が樹立。後醍醐天皇を中心とした政治体制が敷かれていました。

しかし新時代の到来後も、諸国では旧北条方の動きが続いています。時行が匿われた信濃も例外ではなく、戦乱に巻き込まれていきます。

建武2(1335)年3月、建武政権側の信濃守護・小笠原貞宗や市河助房らが水内郡の常岩北条で旧北条方勢力と衝突。断続的に戦を続けていました。

そして同年7月13日ごろ、ついに事態は一変します。

諏訪頼重や滋野氏などの在地勢力が、北条時行を擁して挙兵。小笠原貞宗や市河助房らと合戦に及びます。

北条時行らは信濃国の守護所などを攻撃。国司・清原信濃守を自害に追い込んで気勢を上げます。

そして時行方は守護側の抵抗を突破。関東へと出て武蔵国へと進軍しました。

当時の関東は、建武政権の出先機関である関東将軍府が統治。その執権となっていたのが足利直義(尊氏の弟)でした。

7月22日、時行軍は武蔵国へ進入。鎌倉から迎撃に出た女影原や小手指原で敵軍を破ります。

足利直義方では配下の渋川義季や岩松経家が討死。ついには鎌倉を維持できなくなり、西へと落ちていきました。

『逃げ上手の若君』の主人公である相模次郎こと北条時行。生涯を足利尊氏らとの戦いに捧げた。

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