【豊臣兄弟!】迫る最期…蜂須賀正勝(高橋努)の没後なんと幕末・明治まで繋いだ“蜂須賀一族”を一挙紹介 (3/16ページ)

Japaaan

正勝の曾孫・蜂須賀忠英(ただてる)

蜂須賀忠英(画像:Wikipedia)

慶長16年(1611年)生~慶安5年(1652年)没

阿波徳島藩の第2代藩主。

幼くして家督を継いだため、祖父の家政に後見されながら成長しました。第2代幕府将軍・徳川秀忠より忠の字をいただいて忠英と名乗ります。

父が制定した御壁書二十三箇条を補完する裏書七箇条をを制定して、領国経営をより安定化させました。ただしこれは祖父が起案したとも言われています。

一時逆恨みから「大船を建造して切支丹を野放しにしている」と讒訴されることもありましたが、潔白が証明されるエピソードもありました。

父に似て病弱だったのか、あるいは藩政の激務に耐えかねたのか、42歳で世を去っています。

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