『ブラッサム』17歳で結婚、連れ子の娘とはわずか14歳差…珠の継母(国仲涼子)のモデル・佐伯リュウの生涯 (3/5ページ)
しかも俊次には先妻・トモとの間に幼い千代(このとき、2歳)を設けています。リュウは千代とは年齢が14歳しか違わず、継母というより姉に近い年齢差でした。
リュウは俊次との間に薫、鴻、勝子、光雄、文雄の4男1女をもうけます。千代を加えれば、家には6人の子どもの母となりました。
継母というと、どうしても我が子を優先的に考えるイメージがあります。しかしリュウは違いました。食事においては、最も美味しいものを千代に食べさせ、入浴の順番でも千代を先にします。
このことから、リュウはむしろ実子よりも気遣いをしていたことがわかります。
千代はリュウを実母と思い、慕っていました。異母弟妹の子守を引き受けていたと言います。リュウが千代を大事にしたことにより、むしろ姉と弟妹たちの結びつきが強まっていきました。
夫の死後の家族を支え、作家となった千代を迎える
やがてリュウと千代との関係は、新たな局面を迎えます。
明治44(1911)年、成長した千代はリュウとは別に生母トモがいたことを初めて知らされました。それまで千代はリュウを実母だと思っていました。同年、千代は父・俊次の命によって従兄の藤村亮一と結婚。しかしわずか10日ほどで実家に帰っています。
大正2(1913)年2月8日には、俊次が病没。リュウは千代と5人の実子を抱える立場になりました。
このとき、俊次が放蕩生活を送っていたこともあり、生活は途端に窮迫したと伝わります。