『ブラッサム』17歳で結婚、連れ子の娘とはわずか14歳差…珠の継母(国仲涼子)のモデル・佐伯リュウの生涯 (4/5ページ)
俊次の実家からの援助も少しはあったと推察されますが、暮らし向きは決して豊かであったとは想像できません。リュウは暮らしを支えるために製糸工場に就職。千代の学費も工面して学業を続けさせました。
大正3(1914)年、千代は岩国高等女学校を卒業。川下村尋常小学校の代用教員として勤務します。しかし翌大正4(1915)年、千代は代用教員の職を失って郷里を離れることとなりました。
大正5(1916)年、千代は実母・トモの姉であるカツの子・藤村忠(亮一の弟)を頼って京都へ移住します。
その後、しばらく千代が岩国に帰郷することはありませんでした。
大正11(1922)年、作家となった千代は、原稿料を手に帰郷。リュウや弟妹と再会します。
大正15(1926)年、千代が尾崎士郎と岩国の新港に滞在。このときも、リュウと弟妹は二人を訪ねています。その後も千代は東京で生活しましたが、リュウや弟妹を助け故郷との関係を保ちます。
昭和26(1951)年、リュウは世を去りました。享年98。千代たち家族を慈しみ、慈しまれた生涯でした。
後年、千代は著作『おはん』を描きます。そのモデルとなったのが、ほからなぬリュウでした。
千代が人の心を打つ物語を紡げたのは、リュウをはじめとした大切な存在があったのだ、と感じずにはいられません。