八咫烏、3本足ではなかった?東西の聖地・熊野と出羽三山を巡る「八咫烏の伝説」の謎 (2/4ページ)
そもそも神武天皇は、天照大神が治める高天原から地上に降り立ったニニギノミコトの曾孫にあたり、天孫の血筋を受け継ぎます。また、海幸山幸の伝説で有名な、山幸彦の子孫でもあります。
彼は日向(現在の宮崎県周辺)で暮らしていましたが、東方で国を造るために兄と出発し、瀬戸内海を進んで理想郷と思われていた大和を目指しました。最初は大阪湾側から大和へ入ろうとし、生駒山地の西側にある難波方面に上陸します。しかし、そこで長髄彦(ながすねひこ)という勢力と戦い、大きな苦戦を強いられます。
神武天皇の兄・五瀬命(いつせのみこと)は戦いで傷を負い、その理由を次のように考えたとされます。
「日の神の子孫である我々が、東に向かって戦うのは太陽に背を向けることになる」
そこで一行は作戦を変更し、紀伊半島を南へ回って熊野へ上陸し、そこから大和を目指すことにしました。
