【ブラッサム】最速離婚した夫の弟が「2度目の夫」に!史実での再会と同棲、モデル・宇野千代が辿った波乱の愛 (6/8ページ)

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ここではわずか18日間という短い勤務だったものの、のちに千代が文壇へといく足がかりを作ることとなる、『中央公論』編集長の滝田樗陰(たきた ちょいん/滝田哲太郎)との出会いがあったのです。

また、今東光・芥川龍之介・久米正雄・今日出海・佐藤春夫ら文士たちとの出会いもありました。

大正8年(1919)、千代と忠は入籍します。

忠は東京帝国大学法科大学を無事卒業、北海道拓殖銀行に就職したことをきっかけに、二人は札幌に移住したのでした。

千代は、得意だった裁縫の腕をいかして、仕立物を請け負ったり、頼母子講(※)に精を出したりして生活を支えていました。

※無人講とも呼ばれた民間の組織。構成員が一定のお金を出し合い、入札などで順番を決めて取り合い、全員に巡るまで行う仕組み。

東京帝国大学法文科大学本館(1900年)wiki public domain

尾崎士郎と運命的に出会い忠と離婚

翌年、1921年(大正10年)、『時事新報』の懸賞短編小説に自身の経験をもとに書いた『脂粉の顔』が一等当選し、千代は本格的に作家デビュー。賞金は200円をもらいます。

さら執筆活動に専念し『墓を發(あば)く』の原稿を、「燕楽軒」の常連客だった瀧田樗陰に送ります。

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