【ブラッサム】最速離婚した夫の弟が「2度目の夫」に!史実での再会と同棲、モデル・宇野千代が辿った波乱の愛 (5/8ページ)
(「おいでませ山口へ」作家・宇野千代とは?)
※自伝的エッセイ『生きていく私』では、「藤村悟」という名前で表記されています
再会から親しくなり同棲へ再会当時、京都の第三高等学校に通っていた忠は、夏休みで帰郷中でした。それがきっかけで、千夜は、弟妹を連れて伯母の家に遊びに行ったりするうちに懇意になりました。
そして、京都・知恩院の塔頭の小部屋で忠と同棲が始めたのでした。
このときの二年足らずの京都の生活は、私の生涯の間に、二度とはないくらいの呑気な生活であった。『生きていく私』
19歳と19歳半というまだ若い二人の生活。狭い部屋で身を寄せ合う貧しい日々でも、仲良く暮らした様子が想像できるようです。
1917年(大正6年)、忠は三高を卒業し、東京帝国大学(今の東大)法科大学入学に合わせて二人は東京へ住まいを移し、上京しました。
京都から東京へ
上京したものの、忠は家からの送金がままならなくなったため、大学に籍を置きつつも役所の雇員として働きました。
千代は雑誌社の事務員や中国人留学生向けの日本語教師、写真のモデルなどで働いたり、本郷の高級西洋料理店『燕楽軒』の給仕のアルバイトをしました。