【豊臣兄弟!】なぜ茶々は「親の仇」秀吉の側室になった?史実では寧々との対立も創作、実は共闘していた (8/10ページ)

Japaaan

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茶々なぜ秀吉の側室になったのか

なぜ茶々は、織田軍として父・浅井長政を自害に追い込み、母・お市の方と養父・柴田勝家を北ノ庄城での自害に追い込んだ「仇」の秀吉の側室(別妻)になることを承諾したのでしょうか。

史実上での確定はされていませんが、主な理由として以下の説が挙げられています。

・生き残り妹たちを守るため

後ろ盾を失った浅井三姉妹にとって、生き残るためには時の権力者・秀吉の庇護下に入るのが最も安全な道でした。

そのため、茶々は秀吉の求婚に対し「先に妹たち(初・江)の縁組を整えてほしい」と条件を出し、二人を嫁がせた後に、茶々は側室になったという説。

・織田・浅井家の血を豊臣家に入れる政治的意義

百姓の出自だった秀吉は「信長の後継者」としての正統性は弱過ぎました。

けれども、信長の姪(お市の娘)である茶々が自分の子を産んでくれれば豊臣家の格を高められます。

正室・寧々に子がなく跡継ぎを強く望んでいた秀吉にとって、茶々は理想的な相手だったのでしょう。

一方、茶々からすれば、秀吉は仇ではあるものの後継者を産むことで浅井・織田両方の一族の血を残せます。茶々は、そんな立場の「逆転」を図り側室(別妻)になることを受け入れたのではないか、という見方もあるようです。

ドラマでは、茶々は秀吉に「美しくなった。お市殿にそっくりじゃ」と褒められた時も、にこりともせず「父・長政にも似ておるだろう」と答えたり、秀吉が京土産のお札を渡そうとしても「これがある」と長政のお守りを握りしめたりする場面がありました。

妹たちよりも「浅井の血を残したい」という思いが強いように見受けました。

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