ヤマト政権の巨大古墳、実は「外交兵器」だった!?世界に誇るスケールで仕掛けた“威信演出”とは? (2/4ページ)

Japaaan

奈良県桜井市の三輪山西側には纒向古墳群があり、最初期の前方後円墳とされる箸墓古墳も存在しました。

箸墓古墳については、これを卑弥呼の墓と考える説もあります。さらに奈良市の平城宮跡北側には佐紀盾列古墳群があり、一〇〇~二〇〇メートル級の前方後円墳が集中しているのです。

大阪府羽曳野市と藤井寺市にある古市古墳群も重要な存在です。百舌鳥古墳群と同じ五世紀のヤマト政権の大王墓古墳群と考えられています。

つまり、大和川水系から大阪湾へつながる地域に巨大古墳が集まっているわけです。こうした古墳の分布は、ヤマト政権の勢力範囲を考察する上で大変重要です。

墓室は意外と質素

ところで、これほど巨大な古墳には、さぞ豪華な墓室があるだろうと思いがちですが、実際にはそう単純ではありません。

世界的に見れば、権力者の墓には大規模で豪華な墓室・副葬品がつきものです。例えばピラミッドや秦の始皇帝の山稜がそうですね。

兵馬俑

ちなみに規模だけで言えば、百舌鳥古墳群の大山古墳に代表される前方後円墳は秦の始皇帝の山陵にも劣りません。

しかし、前方後円墳の墓室は丘陵に横穴をほってつくられ、遺体はそれほど大きくない石槨に納められました。副葬品も多くなかったようです。

巨大な墳丘に対して、墓室は比較的質素だった。このことから、前方後円墳には死者を葬る以外の目的もあったのではないか、という説が出てきます。

「ヤマト政権の巨大古墳、実は「外交兵器」だった!?世界に誇るスケールで仕掛けた“威信演出”とは?」のページです。デイリーニュースオンラインは、ヤマト政権、古代日本、古墳、外交、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る