ヤマト政権の巨大古墳、実は「外交兵器」だった!?世界に誇るスケールで仕掛けた“威信演出”とは? (3/4ページ)
巨大な墳丘なら、そこに葬られた大王の力を周囲に見せつけられます。ヤマト政権に従った地方豪族に対して、支配者の権威を目で見える形にする効果もあったでしょう。
さらに注目したいのが大阪湾です。当時の大和川の河口は現在より上流にあったと考えられているため、百舌鳥古墳群は今より大阪湾に近い場所にありました。
つまり、当時は海から巨大古墳を見せることができたのです。ここから、古墳を外交上のけん制に利用したという説につながっていきます。
朝鮮半島へのけん制当時の大阪湾には、朝鮮半島を経由して交易を求める人々が訪れていました。
しかし課題がひとつありました。朝鮮半島は先進地域だったため、交易では相手側に主導権を取られやすかったのです。
そこでヤマト政権は、対等な交易関係をつくるためのけん制を考えたのではないでしょうか。
海上から見れば、前方後円墳はかなり目立つ人工物だったでしょう。それがヤマト政権の王墓だと知られれば、外国から来た人々に強い印象を与え、その権力の大きさを知らしめる結果になったはずです。
百舌鳥古墳群の航空写真(Wikipediaより)
また、彼らが、中国の皇帝たちが築いた巨大墳墓のことを知っていれば、前方後円墳からヤマト政権の力を実際以上に大きく見積もったことも考えられます。
ヤマト政権の王は強力な支配者だと思わせれば、交易で過大な利益を取ろうとする動きを抑えられるでしょう。
さらに、上陸して攻め込むことへの心理的な抑止にもなったかもしれません。
もちろん、この説は、あくまで古墳の規模や立地、当時の交易事情などから考えられた仮説です。証拠はありません。