【豊臣兄弟!】ワガママで秀吉激怒、母のゴリ押しでお引越し…秀吉の養子・羽柴秀勝(3人目)の生涯 (2/4ページ)
しかし実際には10万石程度だったそうで、天正17年(1589年)10月8日に所領が少ないと秀吉に不満を漏らしました。
秀吉は甥のワガママに激怒して、丹波亀山の所領を改易(全没収)してしまいます。
お情けで越前国敦賀(福井県敦賀市)5万石を与える話もあったそうですが、その話は結局流れてしまいました。
とは言えまったく無一文と言うのも不憫に思ったのか、秀吉は小吉秀勝に美濃国大垣(岐阜県大垣市)4万石を与えられたと見られています。
そのため人々からは大柿少将(大垣)などと呼ばれるようになりました。
秀吉も屈した母のワガママ
気を取り直して天正18年(1590年)の小田原征伐では2,800の軍勢を率いて山中城(静岡県三島市)攻略そして小田原城包囲に参戦。兄の秀次を補佐して武功を上げます。
7月に北条氏政(谷原章介)・北条氏直(うじなお)父子が降伏すると、7月13日の論功行賞において、小吉秀勝は甲斐(山梨県)一国23万石を与えられました。
しかし翌天正19年(1591年)になって、母ともが秀吉に対して小吉秀勝の国替えを要求します。
曰く「甲斐は都から遠すぎて可哀想だから、もっと近くにしてあげて(要約)」とのこと。かつて丹波亀山の所領に不満を漏らして改易されたことを覚えていないのでしょうか。
しかし秀吉は姉の猛抗議に屈したのか、小吉秀勝は美濃国岐阜(岐阜県岐阜市)13万石へ転封されています。