【豊臣兄弟!】残虐無能な殺生関白は捏造?母に愛された秀次(山田涼介)粛清は豊臣滅亡を招いた最大の冤罪 (11/12ページ)
【豊臣兄弟!】3歳で散った儚い命…茶々(井上和)と秀吉の“初めての子” 鶴松、溺愛の果てに訪れた絶望
秀吉の天下統一事業の中で、最も悲惨で最も謎に満ちた事件とされる『関白・秀次事件』へとつながるのでした。
「殺生関白」など極端な悪行の逸話は、後付けの捏造である可能性が高いと言われています。
歴史は、勝者によって作られるもの。
秀吉による残虐な処刑を取り繕うため「秀次は悪い奴だった、殺しても仕方がない」という理由を付け、世間を納得させる必要があったという説、徳川の世になり秀吉・秀次が貶められたなどの説があります。
秀次の謀反の罪や切腹に至る経緯などにも、さまざまな説がありますが、いずれにしてもその死が引き金となり、豊臣は20年後の慶長20年(元和元年・1615)の『大坂夏の陣』で滅亡しました。
秀次の真の姿は、実は優れた行政手腕を持つ「名君」の器を秘めた青年で、“絶対に殺してはいけない人物だった”……とも言われる秀次。
これから、さらに研究が進んで、謎の部分がより解明していくかもしれません。
最後に秀次が高野山で切腹したのは、文禄4年(1595)。
ドラマの主人公、秀長が亡くなったのは天正19年(1591)なので、秀次の最期は描かれないかも。
最初は他責思考ぶりを発揮し「大将の器ではない」と秀長に思われてしまった秀次。
