『豊臣兄弟!』しぶとく再登場!愚将・織田信雄、なんと江戸時代まで悠々自適に生き抜いた驚きの生涯 (3/7ページ)
そして、永禄12年(1569)には伊勢国(現在の三重県北中部)に勢力を持つ北畠家の養嗣子となります。
北畠家の家督を相続後は、天正4年(1576)に養父の北畠具教(きたばたけ-とものり)や家臣たち14人を謀殺する三瀬の変を起こし、伊勢国を掌握。
勢いを得た信雄は、隣国の伊賀国(現在の三重県西部)も掌握できると高を括り、信長に無断で伊賀国へ侵攻します(第一次天正伊賀の乱)。
この戦いで勝利していたのならいいものの、結果は大敗。無断で兵を率いたことと戦いの敗北が信長の怒りを買い、親子の縁を切ると言われる程の叱責を受けました。
その後は信長が軍を率いた第二次天正伊賀の乱で伊賀国を平定されています。
豊臣秀吉と対立するも家臣となる
明智光秀/Wikipediaより
天正10年(1582)に起こった本能寺の変の際、信雄は明智光秀に対抗すべく進軍しますが、撤退しています。理由として、信孝の四国征伐に兵をさき、2500人程の兵数しかなかったことがあげられます。
清須会議では、兄・信忠の後継者になる目論見が外れ、甥の三法師の後見人となりました。また、尾張(現在の愛知県西部)・伊賀・南伊勢の100万石も相続しました。