『豊臣兄弟!』しぶとく再登場!愚将・織田信雄、なんと江戸時代まで悠々自適に生き抜いた驚きの生涯 (4/7ページ)

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以後は豊臣秀吉に取り入りますが、賤ヶ岳の戦いの勝利で力をつけた秀吉と対立。信長の盟友だった徳川家康と同盟関係を結び、戦う姿勢を見せました。

対立した理由は、裏切った家臣がいたことと天正12年(1584)に年賀の礼に来るよう命令されたことがあげられます。

そして、同年には織田徳川連合軍と秀吉が戦った小牧・長久手の戦いが勃発。戦いでは織田徳川軍が勝ったものの、総大将であった信雄が調略と領地侵攻を受け、無断で講和を結んだことで最終的に秀吉の勝利で幕を閉じました。

豊臣秀吉/Wikipediaより

戦後、信雄は秀吉の家臣となり、富山の役や小田原征伐に従軍しました。しかし、小田原征伐後の論功行賞で尾張国から移封されることを拒否。

これが秀吉の怒りを買い、改易処分が下され、下野国烏山(現在の栃木県東部)や伊予国(現在の愛媛県)へ流罪となりました。

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