『ブラッサム』珠が働く「悠楽軒」は本当にあった!わずか18日のバイトで芥川龍之介らと交差した運命の場所 (3/7ページ)

Japaaan

大正4(1915)年、上野精養軒の支配人であった妹尾勇吉が開業。大正7(1918)年に料理人・西尾益吉が経営を引き継いだとされています(諸説あり)。

西尾は築地精養軒で働いたのち、渡仏してパリのホテル・リッツで修行。フランス料理の大家であるオーギュスト・エスコフィエがリッツにいた時期でした。

その後、帰国した西尾は築地精養軒の料理長に就任。日本に本格的な西洋料理を根付かせるべく活動していました。

その後、築地精養軒の全盛期を築いた西尾が経営に関わったのが、他ならぬ本郷の燕楽軒だったのです。

上野精養軒。日本におけるフランス料理店の草分け的存在であった。

 

三階建ての洋館を構えた高級レストラン!本郷の一等地に開かれた西洋料理店

燕楽軒があったのは、東京市本郷区(現在の東京都文京区)、本郷三丁目交差点からほど近い場所でした。

本郷通りと菊坂が交わる一角には、かつて大きな三階建ての洋館「燕楽軒」が建っていたと伝わります。
建物の敷地が320坪余りあり、一階には150人収容の酒場、二階と三階には食堂や待合室などが設けられ、200人規模の宴会にも対応できたとする記述があります。

現在の本郷周辺といえば東京大学のある学生街として知られています。
明治から大正にかけては、大学関係者に加えて多くの文学者や芸術家が集まる地域でもありました。
燕楽軒周辺には出版社や書店、学生向けの下宿などが点在。知識人たちの交流が盛んだったのです。

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