【ブラッサム】保との別れ、そして再々婚…黒崎(遠藤憲一)モデル、名編集長・滝田樗陰が引き寄せる数奇な運命 (4/8ページ)
西洋レストラン「悠樂軒」でウエイトレスとして働くことになった珠。(NHK[ ブラッサム」公式サイトより)
滝田との縁が「小説」の道と「次の大恋愛」に導く東京で保の世話・家事・仕事をしつつ、千代は小説を書き『萬朝報』(よろずちょうほう/日本の日刊紙)の懸賞小説で何度か賞を得ていました。
上京した2年後の大正8年(1919)、千代は忠が帝大卒業をして入籍、翌年、夫は北海道拓殖銀行・札幌支店に就職が決まり札幌に移ります。
そこで、東京で出会った滝田樗陰との縁は切れたのかと思いきや。
大正10年(1921)に、『時事新報』(福沢諭吉が創刊した戦前の五代新聞の1つ)の懸賞短編小説に自身の経験をもとに書いて応募した『脂粉の顔』が一等で当選し、作家デビューしました。賞金は200円を獲得。
文章を書くことがお金になることに驚いた千代は、ついで、『墓を發(あば)く』という原稿を、『燕楽軒』の常連客だった滝田樗陰に送りました。
けれども一向に音沙汰がなかったため、大正11年(1922)4月、千代は滝田に確認するために単身上京しました。