【豊臣兄弟!】あさひ急死の裏で強行…秀吉が徳川へ送った「第二の身代わり」6歳の幼子・小姫の儚い生涯 (3/6ページ)

Japaaan

豊臣家の次世代がかかった小姫の祝言にケチがついてはならんのじゃ!」

……とまで言ったかはともかく、秀吉としては、それだけこの祝言に賭けていたと言えるでしょう。

ちなみに当時の婚姻適年齢は、女性だと8歳からとされていました。まだ幼かった小姫は、この時点で婚約状態だったとする見方もあるそうです。

なおこの年の7月13日に実父の信雄が改易されてしまいましたが、小姫は変わらず秀吉養女として遇され、京都の聚楽第で北政所(寧々。浜辺美波)に養育されたと言います。

しかし天正19年(1591年)7月9日、小姫は世を去ってしまいました。その翌8月5日には秀吉と茶々(井上和)との間に生まれていた豊臣鶴松(つるまつ)も世を去り、北政所も腹痛のため2週間寝込んでいたらしく、伝染病が蔓延していた可能性が指摘されています。

茶々と秀吉の“初めての子” 鶴松に関して、こちらの記事で詳しく紹介しています。

【豊臣兄弟!】3歳で散った儚い命…茶々(井上和)と秀吉の“初めての子” 鶴松、溺愛の果てに訪れた絶望

小姫の法要は天瑞寺(京都市北区。廃寺)で執り行われ、甘棠院殿桂林宗香禅定尼(かんどういんでん けいりんそうこう ぜんじょうに)の戒名が贈られました。

相次いで我が子を失った秀吉の悲しみは大きく、その晩年に大きな影を落としたことでしょう。

「【豊臣兄弟!】あさひ急死の裏で強行…秀吉が徳川へ送った「第二の身代わり」6歳の幼子・小姫の儚い生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣小姫、若政所、吉田兼見、豊臣兄弟!、旭姫、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る