土井たか子氏死去と朝日新聞「誤報問題」 by岡留安則 (2/2ページ)
安倍政権としても、朝日新聞が勢いを低下させて、盟友・ナベツネ率いる讀賣新聞がその分影響力を増してくれれば、メディア対策としても好都合だろう。しかし、そううまく行くはずがない。朝日バッシングで活字に対する信頼度が低下すれば、それは毎日や産経、讀賣にも影響を与える。当然、前述したような週刊誌にもいずれ波及する。結果的に活字ジャーナリズムの地盤低下につながる。仁義なきヤクザ抗争も総体的にヤクザ組織の衰退につながることと同じだ。ナンバー1と2が逮捕された工藤会や山口組も組織的には大きな岐路を迎えていると伝えられる。
ヤクザ組織とメディアを一緒にするなとの声が上がるかもしれないが、部数では日本一の讀賣新聞もかつては「インテリがつくってヤクザが売る」新聞と比喩された時代もあったではないか。読者も讀賣新聞の憲法改正を支持しているというよりも巨人戦のチケット欲しさで購読している読者も多いのではないか。
それはともかく、メディア同士が相互批判で切磋琢磨することは悪いことではない。問題はメディア同士であるという基本的な認識を共有することである。告訴や裁判沙汰も想定の範囲内とはいえ、基本はあくまで言論が舞台である。廃刊にしろ、とか国会喚問せよという主張は自ら権力の介入を招き入れる愚行である。そうでなくとも、安倍政権は稀代の悪法「特定秘密保護法」の導入を目論むファシズム指向である。こうした悪法に対しては、打ち方やめ!で連携して権力の策謀に立ち向かう決意がないと、安倍政権にとっては思う壺である。メディア同士で足の引っ張り合いをしている場合ではないのだ。
そして、朝日への最終提言。部数が落ちたら、見苦しいあがきは止めて300万部でもいいからクォリティペーパーへの転換が必要かもしれない。朝日の誤報問題の根幹には官僚制度の疲弊がある。メディア企業が肥大化すれば必ず付きまとう弊害である。米国並みの新聞の在り方を模索すれば、無用な部数競争ではなく、紙面の質で競い合う新聞メディアを志向すべきではないか。無駄な組織や社員数を整理することによって、官僚制の止揚にもつながる可能性があるはずだ。すぐにとは言わないが、いずれは新聞経営の将来を本気で考えたら、検討すべき課題ではないのか。朝日の諸君よ!
Written by 岡留安則
Photo by trombone65 (PhotoArt Laatzen)