【三沢光晴をめぐる証言vol.3】越中詩郎インタビュー (2/4ページ)
──当時の全日本プロレスって、なんであんなに若手がいなかったんですか?
越中 若手を育てようという発想がなかったんですよ。馬場さんの中では、若手っていうのは、自分の世話をする使用人みたいに思ってるからさ。ずーっと前座と雑用をやらせておけばいいと思ってるんだから。でも、そのリズムを変えてくれたのは、昭雄さんだろうな。
──佐藤昭雄さん。
越中 昭雄さんが馬場さんに、何度も「若い人をどんどん登用しないと」って言ってくれたんだよ。そういう意見を言う人を馬場さんは凄く煙たく思ってたんだけど、昭雄さんはあえて言ってくれて。もし昭雄さんがいなかったら、俺も三沢もメキシコ遠征なんかなかったよ。
──ずっと前座のままですか。
越中 ずっと前座、ずっと付け人のままでね。俺は入門してから海外出るまで7年かかってるんだけど、後半3年は馬場さんの付け人で、その前の大仁田選手は5~6年やってますから、俺もそれぐらいはやらされていただろうからね。
──昔は“丁稚生活”が長かったんですね。新人時代の三沢さんっていうのは、どんな選手でしたか?
越中 性格は大人しかったけど、器用だったよね。三沢のデビュー戦の相手は俺が務めたんだけど、入門して半年かからないデビューだったから、当時としては本当に異例。あと、新弟子の練習というのは受け身が中心で、試合の練習なんか一切教えないんですよ。でも、彼はデビューしてすぐに、教えなくても試合になってたんだよね。ああいう人間は、他にいなかった。デビュー間もなく、ちゃんとプロレスができるっていうのは、ジャンボ(鶴田)さんと三沢ぐらいでしょうね。
──本当に天才肌だったんですね。
越中 彼はメキシコ時代に飛んだりしてたけど、練習では一切やったことないからね。だから、こなしちゃうんだよね。
──自分の頭でイメージしたことが、実際にできちゃう。
越中 できちゃうんだよね。まあ、彼は彼なりに、人の見えないところで技の研究をしてたんだろうとは思うけどね。