【三沢光晴をめぐる証言vol.3】越中詩郎インタビュー (1/4ページ)
2代目タイガーマスク、全日本プロレス社長、プロレス四天王としての活躍、そしてプロレスリング・ノア旗揚げ。「天才」という名を欲しいままにしつつ、2009年6月13日におきた「リング上での死」という形で、ファンに衝撃を与えたままこの世を去った三沢光晴。
先日発売された「俺たちのプロレスvol.2(双葉社スーパームック)」では、彼と関係のあった10人のレスラーの証言を集め、プロレスラーとして、また男として、三沢がどんな人間だったのかに迫った。今回は、特別にその中から一部を抜粋して紹介したい。
「(馬場さんに体重100キロになったら海外に行かせてやると言われて)ようやく行かせてもらえることになったんだけど、“その代わり、三沢も一緒にな”って言われて。三沢、100キロなんか、全然ないのによ(笑)」
──今回は三沢光晴さんの特集なんですけど、越中さんにとっても若手時代、とくにメキシコ修行時代に苦楽を共にした三沢さんは特別な存在なんじゃないですか?
越中 うん、印象は強いよね。付き合い的なトータルで言ったら、闘魂三銃士とか、(長州)力さん、藤波(辰爾)さんなんかのほうが全然長いのに、不思議な感じですね。
──若手時代の濃密な時間を共有してるわけですからね。ましてや越中さんは、三沢さんやターザン後藤さんという後輩が入る前まで、新人が一人だけという、大変な時期が長かったわけですし。
越中 俺のすぐ上の先輩っていうのは、大仁田(厚)、渕(正信)、(ハル)薗田という3人なんだけど、5年ぐらいあいてたからね。だから小僧は俺だけですよ。それで後藤、三沢が入ってくるまで2年半空いてますから。その後、間髪入れずに川田(利明)が入ってきて、国際プロレスから冬木(弘道)が合流してきて、もう道場の雰囲気がガラッと変わりました。それまでは、俺と渕さんしかいなかったんだから。
──道場にたった2人ですか(笑)。
越中 悲惨なもんですよ。誰もいないから、いつもシーンとしてるんだもん。なんだこれ? って。だから、三沢たちが入ってきて、道場内がガヤガヤと明るくなりましたよ。