【プロ野球】オリックス「がんばろうKOBE」20年目の期待

デイリーニュースオンライン

Photo by tosimisi via flickr
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 20年前の1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災。震災による深い悲しみに沈む神戸の人々に、勇気と希望を与える。その復興のシンボルのひとつとなったのが、神戸を本拠地としていたプロ野球球団、オリックス・ブルーウェーブだった。

 練習もままならない中ではあったが、「がんばろうKOBE」を合言葉に、地元神戸のために優勝を目指し奮闘。奇跡の優勝を成し遂げ、神戸市民を大いに勇気づけた。この1995年は伝説のシーズンとも言われ、ファンの脳裏に強く焼きついている。そのオリックス・ブルーウェーブの軌跡を、ここに掲載したい。

 まずは1994年。この年のオリックスは、名将と名高い仰木彬が監督に就任。3年目のイチローがシーズン210安打の日本記録を打ち立て大ブレイク。投手陣も、エース星野伸宏を中心に、2桁勝利の投手を3人要するなど、王者西武ライオンズに大差をつけられての2位に終わるも、翌年に大きな期待を抱かせる内容で終わっていた。

 そして翌年の1995年。地元神戸は阪神淡路大震災に見舞われる。神戸を本拠地に置く球団ゆえに、神戸に居を構える選手が多く選手達もまた被災者となってしまった。キャンプインには全員顔を揃えることはできたが、調整遅れは明らか。それ以上に自身の家族、神戸の状況が気になり、野球どころではなかった。そんな状況の中で、地元神戸では野球の開催も危ぶまれていた。球団は、神戸以外の地方球場で興行する話を進めていたのだ。

「こんな惨状で野球を見にくる人はいない、今シーズン神戸で野球をするのは夢物語だ」

 それが理由であった。しかし、オリックスの宮内オーナーは本拠地での野球開催を断行。

「こんなとき神戸を逃げ出して何が市民球団だ。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸でやれ。ここでオリックスの試合をやっている。それだけで、神戸の人たちの精神的に手助けになるはずだから」

 と、指示。予定通り、グリーンスタジアム神戸での試合開催に踏み切った。そこには、神戸にとどまり市民とともに戦おうという想いと、そんなチームを被災者である市民が応援してくれたという構図があった。この行為に選手達は奮い立つ。「神戸市民のために野球をしよう。全力でプレーし、市民を励まそう」そう一致団結し、開幕に臨むのであった。

逆境をはねのけての快進撃

 チームは当初、犠牲者を悼み喪章をつけて試合にのぞむことを検討した。しかし、それではいつまでも悲しみを引きずる形になってしまうとして、神戸市が掲げたスローガン、「がんばろうKOBE」のワッペンを左腕に付けプレーすることになった。このスローガンがより強い団結と使命感を呼び、その後の快進撃に繋がったといっても過言ではないだろう。

 そして迎えた開幕戦。一時は、無観客すら予想されたが、蓋を開けてみれば超満員。3万人を超える観客がつめかけた。交通網が復旧しておらず、自身の生活もままならない中、訪れてくれた観客に選手は奮起。見事開幕戦を2-1で勝利する。

 その後オリックスは、4月を9勝9敗の5割、首位ライオンズから3ゲーム差の3位というまずまずのスタートを切る。

 この月、21日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、野田浩司が1試合19奪三振の日本記 録を達成。打線が機能しない中、投手陣の奮闘が目立った。エース星野伸之、野田浩司、長谷川滋利の3本柱を中心に回すローテーションは、他球団からも驚異の的となる。また、抑えの平井正史が獅子奮迅の大活躍。絶対的抑えとして君臨。平井に繋ぐ中継ぎ陣も鈴木平、小林宏等、若い力が躍進し勝利の方程式を築いていた。

 イチロー、ニール以外湿りがちだった打線も、仰木マジックと呼ばれる意表をつく采配、日替わり打線、四番にも容赦なく代打を送る勝負に徹底した姿勢から、数字以上に機能しだした。次第に噛み合っていく投打の流れが、チームを上昇気流に乗せていく。

 5月は12勝7敗。ライオンズに2ゲーム差の2位に浮上。6月には19勝4敗1分驚異の勝率.826を記録し、ついに王者ラ イオンズを抜き去り首位に立つ。この6月、首位に立つライオンズは主砲清原和博が怪我で離脱し、失速していたのも追い風となった。

 この年ライオンズは、前年までの黄金期を支えてきた主力達の衰えで世代交代の時期を迎えていた。そのため、例年の勝負強さがなく、この年は3位に終わっている。そこに来てイチローを中心とした伸び盛りのオリックスが、勢いと団結で駆け上がり、一気に王者ライオンズ追い抜いた形となった。ちなみにこの年のオリックスとライオンズの戦績は21勝5敗でオリックスが圧勝。王者交代の歴史的一年でもあったのだ。

 オリックスは、この首位奪取からさらに加速度を上げて躍進する。7月は11勝6敗で完全に独走態勢に入る。7月22日には優勝マジック42が点灯。復興が進む神戸の街と共に、優勝が現実味を帯びてきていた。

「がんばろうKOBE」復活と来季優勝への思い

 しかし、8月に入ると、疲労と優勝へのプレッシャーからか失速。8月17日から5連敗。チームに嫌なムードが漂う中、迎えた8月26日、熱帯夜の大阪で40歳のベテランが大仕事をやってのける。

 対近鉄バファローズ戦でチーム最年長の佐藤義則が、球界最年長記録でノーヒットノーランを達成したのだ。この快挙で嫌な流れを断ち切ったオリックスは、8月も18勝10敗で大きく勝ち越した。その流れのまま9月15日には、優勝に王手をかけた状態で地元神戸でマリーンズとの3連戦に挑んだ。地元で、神戸のファンの目の前で優勝したいと意気込むも、空回り。まさかの3連敗を喫してしまう。特に3戦目は、3点リードの場面で抑えの 平井が打ち込まれまさかの敗戦。これにより、地元神戸での胴上げは幻となってしまう。

 ベンチに引き上げる選手達は、ファンからの罵声を覚悟した。目の前での優勝見せられなかったのだから当然と考えていた。しかし、ファンの反応は違った。「次は勝てよ!」「いい試合をありがとう!」など、罵声どころか労いの声がほとんだったというのだ。この時選手達は気づいたという。自分達が勇気づけていた神戸市民もまた、自分たちを勇気づけてくれていたということを。

 その2日後の9月19日西武球場。阪神淡路大震災から245日、オリックスは球団創設以来初優勝を成し遂げる。これはまさしく、市民と選手で勝ち取った奇跡の球団初優勝であった。日本シリーズでは惜しくも敗れてしまうが、この優勝は被災者を励まし、勇気づけたのは間違いない。そして、多くの人々を感動させた優勝であった。

「がんばろうKOBE」左腕に付けられたこのワッペン。これは被災地の希望の印として人々の脳裏に深く焼きついている。震災から20年たった今年、オリックスは大補強を敢行。昨シーズンの大躍進から大補強とあって、優勝への機運は大きく高まっている。そして、「がんばろうKOBE」のワッペン復活も発表された。来季のオリックス・バファローズに、大いに期待したい。

(取材・文/井上智博)

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