酒鬼薔薇聖斗を崇拝?「人を殺したかった女子大生」の痕跡を追う (4/4ページ)

東京ブレイキングニュース

自殺や自傷の感情は別のアカウントを作って、そちらでつぶやいていた可能性もあるが、現段階では不明だ。

 ネガティブな思考を続けていると、社会が薄っぺらく思えることがある。「みんな表面的な人間関係を送っている」「自分の本音を隠しながら、我慢して生きている」「鈍感にならなければ、この世は生きづらい」などと思っていたりする。そんな思考の中では、特に大人たちに不信感を持っている。

 そんな思考から見た世界は、それほど価値のないものに見えたりしてしまう。仮に、殺人をしたとしても、失うものが大きすぎるし、周囲に迷惑がかかる。自分がやりたいものができなくなる。そんなことが最終的には歯止めになる。しかし、失うものがそれほど価値がなかったり、そもそも失うものがなければ、殺人をしない理由もなくなる。

 高知県土佐市の明徳義塾高校事件の加害少年はホームページの日記で

<殺したいけど、その代償は大きい。

 だけど、失うものが本当に大事なのかがわからなくなる。

 手に入れるモノはあまりにおぞましく魅力的だ。

 どうすれば私の攻撃性と猟奇性は満たされる?>

 と書いている。逮捕された女子学生がそこまでの思考に陥っていたのかは不明だが、「世界を壊したい」と「人を殺したい」は近い感覚で、それは自殺願望とも隣接しているのではないか。

 最近取材したある女子高生は「私が死ねば、(私にとっての)世界も終わる。それは(私の中で)他の人を殺すことでもある」と言っていた。この女子学生にとっても、自殺願望と殺害願望、破滅願望は、近いところにあるのかも、と思った。だとすれば、女子学生にとって、殺人という一線を越えることは難しくないのかもしれない。

 こうした事件が起きると、精神鑑定が多用され、人格障害や発達障害の枠内に落とし込められていく。そうした行為はある意味では、人々の無力感の反映なのかもしれない。ただ、それは思考停止ではないかと思う面もある。「障害があれば、理解できなくても仕方がない」と。

 しかし、人格障害であれ、発達障害であれ、運命論的にその人格が作られているものではない。それらの障害があっても多くの人は殺人をしない。また、私は「人を殺したい」と思っている少年少女を取材したことがあるが、殺人という一線を越えなかった。こうした思考の背景には、虐待やいじめ、体罰、将来への希望のなさ、喪失体験など、なんらかのトラウマによるストレスが影響していることもある。そのため、精神疾患名に振舞わされてはいけない。

Written by 渋井哲也

Photo by Brynn Tweeddale

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