黒子に徹し人生を学んだ『人間力』入来祐作(福岡ソフトバンクホークス3軍投手コーチ) (1/2ページ)
「打撃投手時代に、誰の役にもたてないことのしんどさを知りました。だから、なんでもいいから人の役に立っていたいんです」
今季から、福岡ソフトバンクホークスの3軍投手コーチを任されることになったんです。入団会見の時には、感極まって泣いてしまったんですが、それで親父に怒られました(笑)。「お前、これから若い奴らを教えなあかんのに何、泣いとるんだ。ナメられるぞっ」って。
その九州の頑固親父は、いま80歳ですけど、ハーレーダビッドソンに乗ってブイブイいわせていますよ。僕がプロ野球選手になった時にプレゼントしてからずっと乗っているんです。僕が小さい頃からいつも「いつかハーレーに乗りたい」って言っていて、僕が巨人への入団が決まると、親父がハーレーのカタログ持ってきましたもん(笑)。でも、お陰で親孝行できました。
巨人入団から、大リーグ時代を含め12年間、プロとしてやらせていただきました。08年に戦力外通告を受けたときは、頭が真っ白になりましたね。僕が所属していたマネージメント会社も困っていました。
もう、ユニフォームは着ることはできないだろうなと僕自身、思っていましたし、テレビの野球解説者なんてもってのほか。解説者は、僕なんかよりもっと実績を残した人がやる仕事ですよ。僕なんかが、どのツラを下げてやるのって感じでしたね。
でも、僕から野球を取ったら何も残らないんですよ。どんな形でもいいから野球に携わっていたいと思って、当時所属していた横浜(現・横浜DeNA)のフロントの方に頼み込んだんです。「何か仕事ありませんか」と、それこそ、毎日でも電話したかったんですが、むこうの迷惑も考えて、週1回連絡し続けましたね。
現役時代、いい気になっていたツケが回って来たんだと思いました。野球選手を引退した瞬間に、自分の周りには誰もいなかったんです。自分で反省ばかりの野球人生だったなと思ったんです。このままでは終われないと思っていたところに、球団フロントの人から電話がかかってきたんです。「入来くん。打撃投手なら枠が空いたけど、やってみますか」と。ようやく訪れた福音。「はい!ありがとうございます」と二つ返事で引き受けました。