東電OL事件18年目の真実……なぜ彼女は円山町に立ち続けていたのか? (1/3ページ)

日刊大衆

東電OL事件18年目の真実……なぜ彼女は円山町に立ち続けていたのか?

先日、「迷宮の花街 渋谷円山町」(本橋信宏・宝島社)という、ノンフィクションルポが発売された。時代の最先端、渋谷駅の周辺にあって、今も花街の風情を残す円山町の歴史や成立した背景に迫った1冊だ。花街を経て都内有数のラブホテル街になり、現在は若者が集う大箱クラブが並ぶエリアとしても知られているこの町……。長きに渡り男と女が集う町としてあり続けた円山町とはなんなのか? そして1997年に発生した、東電OL事件の真実とは? 著者の本橋信宏氏に、円山町の真実について、インタビューを試みた。

――以前、近くに事務所をかまえていたそうですね。

「バブルだった当時、道玄坂にある雑居ビルに事務所を置いていたんです。その頃、書く仕事がスランプだったんで、心機一転で仕事場を移してみたんですね」

――なにか象徴的なエピソードはありますか?

「事務所の近所に駐車場を借りようとしたら、1か月に14万円だっていうんで(笑)、断念した記憶がありますね。当時はそれでも借りる人がいたんですよ。円山町のラブホはいつも満室。日本中が浮かれていましたね」

――当時はその状況は異常と思ってました?

「思ってましたね。村西とおる監督とも仕事をしていたんですが、彼自体がバブルみたいなもんでした(笑)。その頃、コンビニの袋に600万円ぐらい入れて支払いしてましたから。儲かってしょうがなかった。でもあのころ、日本中が金にうなされていたんですよね。91年の4月ごろ、私はAVの仕事からすべて手を引きました。当時まだ“バブル”という概念はなかったけれど、体感的にバブルを感じていたので、これからはもう一度、コツコツと文章を書いて食っていこうと思ったんです」

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写真・北村咲子



その直後に日本のバブル景気は弾けた。本橋氏の勘は、見事に当たっていたのだ。隆盛を誇ったラブホテルだったが、日本の経済状態が悪化するにつれ、じょじょに客足も減っていった。
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