「想い続けるということ。」〜あの日から4年。今、ストーリーにできること。 (2/4ページ)
Youtubeか何かを開いていたようですが、一面真っ赤に染まったそれが、一体なんの動画かすぐには分かりませんでした。
「大変なことになっているね」と先生が言い、初めて私は気がつきました。
動画には、日本語のテロップがついていました。そして見えるM8.0という文字。
画面の赤は、地震によって起きた火災の炎の色でした。
これは今日起こった地震のことなのだと分かると、頭から血の気が引いていったような気がします。
先生も思うことがあったのでしょう、PCを貸してくれたので、私はそれで震源地や現在の状況をなんとか探しました。もちろん日本語など打てないので、ローマ字を使ってです。
慣れない操作と出てこない情報にイライラしながらも、なんとか震源地が福島、そして現在の状況は私が想像していたより何倍もひどいものという事が分かりました。
その日の授業は、一つも頭に入りませんでした。
私の実家は福岡なので、少なくとも家族は大丈夫だろうと思いながらも不安で不安で、授業が終わってから真っ先に携帯で家に電話をしてみました。
しかし当たり前ですが混線していて通じるはずもなく、不安でふらふらしながら家に帰ったのを覚えています。
結局家族は皆無事だったのですが、それを確認するまでは本当に生きた心地ではありませんでした。
数週間も経つと、被災地や物資不足となった首都以外の場所は大分落ち着いてきたように思われますが、一つ悲しい出来事がありました。
この頃からネットを通じて日本に住んでいる人たちと話していると、よく「海外にいて良かったね」言われるようになりました。
上記の言葉だけでも個人的にもやっとしていたのですが、中には「日本は放射能がヤバいからこのままそっちにいたほうがいいよ」とか「海外逃亡できて羨ましい」とまで言う人もいました。
この言葉らには、本当に涙が出るほどの怒りが沸きました。
私はその時までは想像もしたことも無かったのですが、海外にいる以上、日本の情報というものは自分に届くまでにかなりの時間がかかります。