宣教師が驚くほど奔放だった、戦国時代の日本人の性観念!? (3/3ページ)

日刊大衆

この頃は、すでに近世の幕開けであるが、まだ戦国時代の習慣が残存していたと思われる。次に示すように、フロイスと同じく、彼の見た日本人の性観念は、驚きの連続であったと考えられよう。

コリャードの『懺悔録』には、『ヨーロッパ文化と日本文化』と同様に豊富な事例が記されている。『懺悔録』は、コリャードが日本人信徒の懺悔を記録した書物である。同書には、日本人信徒による赤裸々な罪の告白が、十戒の順序に従って記録されている。十戒とは「モーセの十戒」とも言われ、神がシナイ山上でモーセを通して、イスラエルの民に授けたとされる。十戒の中には、「姦淫」も含まれている。「汝姦淫するなかれ」という言葉は、キリスト教徒でなくともご存知であろう。

『懺悔録』には、女房を持ちながらも、妾を持った男の話がある。男は妾と肉体関係を持ってはならないと自覚するのであるが、ついには欲望に負け、何度も性行為を行ってしまう。現代でいうならば、SEX依存症というべき症状であろうか。この日本人信徒は、キリストの教えに背いたがために、自ら懺悔をしているのである。ただ、ほかの日本人には罪悪感がなかったかもしれない。

また『懺悔録』には、夫を持つ女との性交や強姦の類もままあったことが記されている。ある男は男色の欲求に駆られればその欲望を満たし、美しい女性に会えば、すぐに邪念が起こると書かれている。あるいは結婚詐欺のような手口で、女を女房に迎えると騙して、処女を奪った事例もあげられている。この辺りも、欲望のままに動く男の実体験が、赤裸々に綴られている。

『懺悔録』の「姦淫」の箇所では、動物的な性の衝動に駆られた男の告白が赤裸々に綴られている。まるで理性のない動物のような印象を持ってしまう。誰しもが持つ感情かもしれないが、コリャードはヨーロッパのそれと比較して、どのような感想を持ったのであろうか。おそらくヨーロッパでも性観念が異なっているとはいえ、同様な事例はあったはずである。

このように、戦国時代の性観念は実に奔放であった。しかし、時代を経るにつれ、日本人の性観念にも変化が生じ、現代に至っている。そこには、政治・社会の変化、倫理観や宗教観の変化、法律的な規制(売買春の禁止など)などが複雑に絡み合いながら、形成されたのである。

(日本史学者・渡邊大門)

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