【パンチ佐藤】イチロー選手から仰木監督まで…裏話炸裂! (3/5ページ)
すると、仰木監督は“イチローだけだと反感があるかもしれないから、佐藤もパンチに変えて2人セットで……”と話したのが“パンチ佐藤”誕生の原点」
●「イチロー」と「パンチ」の改名はセットだった
青井「イチロー選手は、入団当初からすごかったですか?」
パンチ「いや……。高卒で当時は18歳。初めて会ったときは、細くて手足が長くて。トラックを走る姿がキレイなのね。それと、印象として残っているのは練習の虫だったということ。でも、その時はせいぜい“頑張れ、未来の大物”という程度だった。でも、イチローは毎日、試合後であっても夜中まで練習をする。天才があれだけ努力するから、どんどん成長していったね」
青井「イチロー選手が現れた時、走攻守が揃っている新しい選手像が生まれました。パンチさんがおっしゃったように線の細いしなやかな選手でしたね。当時のプロ野球選手でそういうタイプの選手はいませんでしたよね」
パンチ「18歳とは思えず、しっかりしていたね。お父さんの教育だろうね。時計やバッグ、スーツといった派手な物は持ってなかったよね。ただ、バットには相当なこだわりがあった。自分で工場へ出向き、バットを作りに行くんだよ。弱冠18歳なのに、老成しているというか、プロ意識が高いというか……とにかく、道具と食べることにかけてはお金を費やしていたよね」
青井「パンチさんはご自身が引退される際、イチローさんに“ユニフォームくれよ”と言われたそうですが……」
パンチ「その話はね、イチローの方から“(パンチさんの)ユニフォームを頂けませんか”と言ってきたのが真相。“じゃあ、お前(イチロー)のユニフォームもくれよ」といって交換したわけなんだ」
青井「イチロー選手は途中で背番号を変えましたが、そういえば、パンチさんも背番号を45番から90番に変えましたよね」
パンチ「結果を残していないのに結婚もした。“いっぱい活躍できるように”という思いを込めて2倍にしたの。上田監督時代に3割3分3厘を打ったけど、監督が替わり、2、3、4年目は出場機会に恵まれなくて……。“違う監督の元でやって、それでダメなら辞める”と決意した矢先に仰木監督が就任。