【歴史】徳川家康には20人以上の妻と妾がいたことが判明! けしからん状態だった (2/4ページ)

バズプラス

それでも長男・信康が生まれたのですから、家康の律儀さというか何というか。

信長からの疑いによって築山殿も信康も処分されることになってしまいましたが、もし最初から双方が歩み寄っていればまた違った結末になったのかもしれません。
その場合、江戸幕府の二代将軍は当然信康になったでしょうし……この先は影響がデカすぎて想像を広げるの自体が難しいですね。

・長勝院(結城秀康生母)
決して無能ではないのに冷遇された家康の次男、結城秀康の母親です。当初築山殿の身の回りの世話役を務めており、そのうち家康の目に留まってお手つきになりました。秀康がお腹にいた頃「築山殿の嫉妬に遭い、服を剥ぎ取られて真夜中の庭木にくくりつけられた」という逸話がありますが、その頃には別々の場所に住んでいたため、後世の創作の可能性大だそうです。

何かと悪者にされる築山殿がかわいそうですね。彼女は秀康よりも長生きしているのですが、息子が亡くなったとき家康の許可を待たずに出家したといいます。カーチャンだけでも愛してくれて良かったな秀康! お咎めがなかったのは、多分家康もそれをわかっていたからなのでしょう。もうどうでもよかったなんてそんなまさか。……まさか。

・西郷局
三男・秀忠と四男・松平忠吉のお母さんです。一度結婚していたものの、夫に先立たれて未亡人となり、家康に気に入られて奥に入りました。現代的な感覚で言えば将軍の母=勝ち組ですが、彼女自身が秀吉の時代に28歳の若さで亡くなっているため、お江との嫁姑問題や江戸幕府への影響はほとんどなかったと思われます。

美人かつ心優しい女性だったらしく、家康はもちろん家臣や侍女にも相当慕われていたようです。理由は不明ですが近眼だったそうで、目を患った女性の支援を行っており、亡くなったときにはかつて恩を受けた女性たちがこぞって彼女の冥福を祈りに来たといわれています。

当時の平均寿命的に考えると江戸時代初期まで生きていてもおかしくはありませんが、その場合忠吉の早世を目の当たりにすることになるので、どちらにしろ哀れな人ということになってしまいますね。

「【歴史】徳川家康には20人以上の妻と妾がいたことが判明! けしからん状態だった」のページです。デイリーニュースオンラインは、徳川家康武将ジャパンカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る