【歴史】徳川家康には20人以上の妻と妾がいたことが判明! けしからん状態だった (4/4ページ)
既婚者だったにもかかわらず土地の代官に言い寄られ、はねつけたところ代官が逆ギレして夫を殺してしまったため、娘を連れて家康に直訴したというなかなか肝の据わった女性でした。
その場で家康に気に入られ、娘と共に引き取ったといわれているのですが、代官の方はその後どうなったのやら記録がありません。典型的なモブ扱いですね。家康に寵愛された側室の一人ですが、その割に上記の「阿茶局」と似た呼び名をつけられたあたりが解せません。
松千代は夭折してしまいましたが、忠輝は順調に育ち順風満帆……とはいきませんでした。忠輝は母に取り成しを頼みましたが、家康は最期まで許さず、生前の再会は叶いませんでした。茶阿局も悲しんでいたでしょうね……。
こうしてみると、やはり賢い女性ほど後々まで良い立場にいられたことがわかりますね。朝日姫がどんな女性だったかは記録が少なすぎてよくわかりませんけども。決して狸がただの「後家好き(ただし晩年は○リ○ン)」ではなかったという証拠にしておきましょうか。
執筆: 武将ジャパン
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