【歴史】徳川家康には20人以上の妻と妾がいたことが判明! けしからん状態だった (3/4ページ)
あまり有名な人ではありませんが、佳人薄命をまさに地で行くような人生でした。
・お勝の方(お梶の方)
幼い頃から賢さで知られた人です。最初は「お梶の方」と呼ばれていました。彼女の逸話で有名なのは、家康があるとき、家臣たちに「一番美味いものと一番まずいものは何か?」と尋ねたときの話でしょう。
皆どちらかというと自分の好き嫌いを披露していたかと思われますが、彼女は「一番美味しいものも一番まずいものも塩です。どんなものでも塩で適度に味を調えなければ美味しくならず、だからといって入れすぎたり塩そのままでは食べられない」という実に理に適った返答をしました。ぐうの音も出ません。
その頭脳を買われてか、関が原や大阪の役にも男装・騎乗で同行したそうです。特に関が原のときには「この勝利はお梶がいたからに違いない! お前は今日から『お勝』と名乗れ!」と言われて改名したといわれています。家康のテンションが上がった話とか珍しいですね。
その他にも倹約家だったことがより家康の気に入ったらしく、家康の死後も幕閣から一定以上の尊敬を受けていました。後に春日局が台頭したときにも、お勝の方のほうが序列が上だったほどです。江戸幕府随一のキャリアウーマンといっていいでしょうね。
・雲光院(阿茶局)
出家前は「阿茶局」と呼ばれていました。ただし彼女が髪を落としたのは家康だけでなく秀忠も亡くなった後のことです。というのも、側室の中でお勝の方に並んで家康の信頼が厚かったため、「秀忠をよろしく頼む」といわれていたのでした。
お勝の方より23歳も年上なんですが、亡くなったのは5年しか変わりません。頭脳に加えてその健康さも家康のお気に入りだったんでしょうね。特にこの二人が対立したとか揉めたという話はないようですから、おそらくはお勝の方が阿茶局を立てるような感じでうまくやっていたのでしょう。頭のいい人同士ならではという感じがしますね。
・茶阿局
家康六男・松平忠輝とその弟・松千代の母親です。