「幸せになる」ということは必ずしも良いことではないという考え方(ニュージーランド研究) (3/3ページ)

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幸福を回避することと、安心を求めることには明確な相関関係がある。

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幸福になることを戒める教え

 幸福を回避する思想は道教に基づいている。道教には「世の中は二元対立で出来上がっている」という思想がある。黒があれば白があるように、闇があれば光があるように、電気にプラスマイナスがあるように、物事はバランスをとるようにできているというのが基本的な教えだ。

 韓国では、幸福は将来悲しいことが待っているという兆候だと信じられているし、イランでは、「大声で笑うと、悲しみが起きる」という表現があるほどだ。これは、まさしく、幸せになるという状態が何を意味するのかを表している。キリスト教では、幸福は認められている。(それが神の愛によるものならば...さもなければ、それは悪とみなされるであろう)。

 また、ある文化では、幸せなになることは道徳的に堕落した人間になるとされている。イスラム教の多くのグループでは、至福は避けるべきと信じられている。なぜなら真の幸福は神にのみ与えられるもので、感情や日常的なことや世俗的なものではないからだ。

 作家や芸術家にとっても、長い間、幸福とは天賦の才能や独創性を壊す可能性のあるものとして考えられてきた。他にも、想像できないほど不正に溢れた環境下で暮らしているものにとっては、幸せになるということは、道義に反する生き方と考えている人もいる。


via:knowledgenuts・原文翻訳:melondeau


 まさに私も「幸福は不幸の前兆」と考えてしまう方で、降ってわいたような幸福に一瞬はうれしくなるものの、「何か悪いことの前触れでは?」と素直に喜べない。だが逆に、不幸のどん底やトラブル続きの時には、次に待ち受けるのは幸福だと思えるので、逆境には強かったりもするわけだが、やはりこの考え方の背景には道教めいたものが働いているのだろうか?さて、みんなはどうだろう?幸福を素直に心から喜べるかな?


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