実は『百人一首』の編者は藤原定家ではない!?では本当の編者の正体は?最新学説と教科書の動向を紹介

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実は『百人一首』の編者は藤原定家ではない!?では本当の編者の正体は?最新学説と教科書の動向を紹介

『百人一首』と『百人秀歌』 〈秋の田のかりほの庵の苦をあらみ我が衣手は露に濡れつつ〉という天智天皇の歌で始まる小倉百人一首。これは鎌倉時代の歌人・藤原定家が編者だとされています。 定家は、親戚で御家人である蓮生(宇都宮頼綱)の依頼で、京都の山荘の襖を飾る障子歌を書くことになり、歴代100人の歌人の作品から1首ずつ選んだと言われていますね。 実際、定家は日記『明月記』の1235年5月27日の記録で、〈天智天皇か...

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