仏教の荒行に今も残る「切腹の掟」は自殺教唆にあたるのか? (1/2ページ)

新刊JP

『人生生涯小僧のこころ』(致知出版社/刊)
『人生生涯小僧のこころ』(致知出版社/刊)

 比叡山延暦寺に伝わる「千日回峰行」に挑んでいる滋賀県大津市の善住院の釜堀浩元住職が10月21日未明に最後の荒行である「堂入り」を無事に終えたというニュースが、21日放送の「ミヤネ屋」などメディアで大きく取り上げられている。

 この「堂入り」を終えると「生き仏」になったとされるが、合計1000日、期間にすると9年間にも及ぶこの荒行は、いったいどのようなものなのか。
 金峯山修験本宗慈眼寺の住職、塩沼亮潤氏は、1999年に吉野山金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行を満行。その修行の内容を著書『人生生涯小僧のこころ』(致知出版社/刊)に記している。

■往復48キロを1000日間 まさに命がけの荒行
 それによると、この行では奈良県・金峯山寺から大峯山の頂上にある大峯山上本堂までの 往復48キロの山道を1000日間、1日も休まず歩き続ける。
 ただ、1000日といっても連続しているわけではなく、毎年山が開かれている5月3日から9月22日までの間に行うため、1000日を満行するまでに約9年間かかるという。距離的にも過酷だが、その道程は高低差1300メートルの険しい山道だ。地理的条件は、前述の釜堀氏が行った延暦寺の「千日回峰行」よりも厳しいという声もあるほどで、それを期間中は毎日上り下りするのだから、心身への負担は想像を絶するものがあるだろう。

■やめることができない「千日回峰行」の本当の厳しさ
 そしてこの「千日回峰行」の大きなポイントは「途中でやめることが許されない」点だ。
 一度行に入ったら、1000日の荒行をやり遂げなければならず、その覚悟の証のように行者は常に短刀と紐を携帯するという。これは、途中で行をやめる場合、腹を掻き切るか、首をくくって命を絶たなければならないとする掟があるからだ。
 塩沼氏の場合、この行を見事にやり遂げたわけだが、その途中で何度も死にかけたことがあると記しており、途中でやめたら死なねばならず、やり遂げるのも命がけ、というすさまじい厳しさを垣間見ることができる。

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