内田樹『日本の反知性主義』が酷評されまくる理由 (2/2ページ)

デイリーニュースオンライン

根拠に基づいた議論が分かっていない!?

 拝読して感じたことは、まあ山形浩生さんが言い尽くしていたので繰り返しここに書くのも気が引けるのですが、私としては内田せんせは「エビデンス・ベースド」、つまりデータなどの根拠に基づいた議論についてはあまりきちん分かっていないんだろうなあというところがすべてだと思います。

 簡単に言えば、内田せんせは現代のデータも用いた議論についていけてない。

 ある意味で、内田せんせというのは鋭利な知性であり直感で物事を感じ、そこから論じ抜いて人々に新たな思考の地平線を見せる、というのが「芸」であります。これはこれで、それ一本でやってきたようにも見える内田せんせの凄さであり、伝統芸能なんですけれども、さすがにこのご時勢、リベラルとは何かとか、貧困や高齢化社会という先の見えない問題に取り組むべき時期において、感覚や感情に基づいた捏ね繰り回した論説は、説得力を失ってきていると言うことなんだと思うんですよ。

 「反知性主義」という言葉の定義や、すでに空洞化した概念だというレトリックはもちろん考えるにしても、現場で政策を論じたり、具体的な問題について取り組んでいる一線級の人たちにとっては、内田せんせの論ずるような「べき論」「である論」というのはノイズが多すぎて、自分の立場や仕事に置き換えたとき役に立たないか、ピンとこなくなっているのだろうと感じるわけです。

 大上段に言うならば、池内せんせがFACEBOOKに文字通り書かれていたような「なんでまともに議論もできない『大学教授』が量産されたかというと」というパラグラフがすべてを表しているように、内田樹的なるものはおおよそ日本社会が右肩上がりで、豊かで問題を時間が解決してくれた時代の産物であることが良く理解できます。内田樹的なるものが無用かどうかは見る者読む者が判断すればよいとしても、少なくとも社会時評やその底流にある思想を解き明かそうというところです。

一定層にはジャストフィットも……

 しかしながら、内田せんせが著書で「数学における『予想』の存在が示すのは、平たくいえば、人間には『まだわからないはずのことが先駆的にわかる』能力が備わっているということである」と記したとき、読者は「ああ、この内田さんという人は数学がまったく分からないのに数学を論じるタイプの馬鹿なんだな」と思ってしまうだろうということです。

 上記の池内せんせの内田樹批判も、おおよそ「知らない分野を分かったフリして論ずるな内田」成分と「論じることもまともにできない内田を崇め奉る大学もメディアも読者もいい加減にしろ」成分とが混ざっているように思うわけです。おそらくは、その根底には内田せんせにおいては拭い去れない時代感(たいした研究者でなくとも大学が新設されポストが増えていったのでそれらしい肩書きをもらえていた右肩上がりの時代)から、いまの日本人や日本社会が抱え背負う苦労を見下した論難の仕方が、一定のマゾい読者や反権力的思考の持ち主にはジャストフィットして産業として成り立っている、ということなんじゃないかと。

 内田せんせから学ぶべきことは、間違いなく「ああ、あれだけ俊英な視点を持っていた人でも、時代に取り残されるとこんな感じになっちゃうんだな。私もそうならないようにまじめに日々勉強しよう」ということなんじゃないかと思いました。

著者プロフィール

やまもといちろうのジャーナル放談

ブロガー/個人投資家

やまもといちろう

慶應義塾大学卒業。会社経営の傍ら、作家、ブロガーとしても活躍。著書に『ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」』(宝島社新書)など多数

公式サイト/やまもといちろうBLOG(ブログ)

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