成功者は有吉だけ? かつて大人気だった「電波少年芸人」たちの現在 (3/3ページ)

日刊大衆



●Rまにあ・しゅく(39・宿輪竜一)『電波少年的無人島脱出』『電波少年的スワンの旅』(1998年4月〜1999年10月)……2006年にコンビ解散して、相方の中島ゆたか(38)は芸能界を引退。しゅくは関根勤から「しゅく造め」と命名されてピン芸人として活動。2013年4月10日に再び関根勤のアドバイスで「しゅくはじめ」に芸名を変更した。大のプロレス好きで、DDTプロレスリングのキャンプ場プロレスでリングアナウンサーを務めたり、無人島生活の経験を生かし、日本キャンプ協会認定の「キャンプインストラクター」などの資格を持ち、子供たちにキャンプ・アウトドアライフを教授する活動もしている。

●ダブルブッキング・川元文太(40)『電波少年的箱男』(2000年)……鉄製の箱に入り、鹿児島の佐多岬から東京までの約1500キロメートルを箱を押してもらうという、人の善意に頼った企画だったが、交際中の女性の登場により、目標とは違った趣旨のゴールになってしまった。その後も相方の黒田俊幸(40)とお笑いコンビを続けているが、妻は「早く芸人を辞めてほしい」と思っているそうだ。

●ケイコ先生(年齢不明)『電波少年的東大一直線』(2000年)……アルカリ三世(当時)の坂本ちゃん(年齢不明)を東大に合格させるため、家庭教師として登場したが、企画終了後は、本名の唐木恵子の名でドラマ、CM、司会、バラエティ番組などに出演。元々舞台での役者志望であり、タレント活動は本意ではなく思い悩んでいたとき浪曲と出会い、浪曲師を目指して二代目春野百合子(88)に弟子入り。東京の芸能界を引退した。2006年3月以降、春野恵子の芸名で浪曲師として活躍している。

『電波少年』シリーズのあとも、派生番組として『雷波少年』(1998年4月〜2002年3月)と続き、売れないバンドSomething ELseとBluem of Youthがヒットを目指す各企画や、運動音痴なタレント、羽田実加(37)が鉄棒で大車輪を目指す『雷波少年系鉄棒少女』などが人気だった。Something ELseとBluem of Youthは解散して、それぞれがソロやプロデュースで活動。羽田は結婚して一児の母になっている。

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