【東日本大震災】大川小学校の悲劇と地元に伝わる"ある伝承" (3/4ページ)

東京ブレイキングニュース

昭和三陸津波のころには、どのような被害調査ができたのかはわからないが、東日本大震災の被害当時の調査のほうが比べ物にならないくらい正確だったのは想像できる。しかし明治以前の記録はない。そのためもあって、永沼さんはこれ以上の津波が来ることも考えていた。

 1981年、永沼さんらは「郷土を住み良くする会」を作った。当時、以下のような設立の文書を残している。

 東国の辺境姿秀優

 波涛一夜万人を呑む

 壮士名を連ね拓心燃ゆ

 千栄の大計記して会より

 開かん

 永沼さんによると、最初のメンバーは当初3人いたが、いずれ40人ほどに膨らんだ。実現するには費用がかかるため、地域として行政に要望しようとした。しかし、地域の中で反対の声があり、実現しなかった。

 ちなみに、2009年に作成されたハザードマップによると、長面地区は最大で「5メートル以上」の浸水となることが見込まれていた。前提は、宮城県沖地震(連動型)を想定し、過去の昭和三陸津波やチリ地震津波の浸水域を参考にして作られたものだ。そのため、震源や地震の希望が変われば、津波の浸水域も変動する。震源によって、津波の方向さえ変わってしまうものだ。

 避難所指定されていた「長面老人憩いの家」や「農林漁業者トレーニングセンター」、その周辺の住宅地は津波による浸水は想定されていない。ほとんどの浸水想定域は田園地帯の部分だ。まるで、住宅地を避けるかのうように浸水域が設定されているのではないかと思えてしまう。

 結局、今回の震災で長面地区は多くの犠牲者を出した。

「小地域別にみた東日本大震災被災地における死亡者および死亡率の分布」(谷謙二、埼玉大学教育学部地理学研究報告32号 2012年)によると、長面地区は79人が死亡。地域住民の15.61%が犠牲になったことを示している。下流側の尾崎地区では、津波が新北上川を遡上するのを横目に車で避難をしたり、地域の避難場所に向かったために、長面地区よりも被害が少なく、死者10人、地域の5.62%と比較的少なかった。長面地区は尾崎地区の3倍弱だったわけだ。

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