【東日本大震災】大川小学校の悲劇と地元に伝わる"ある伝承" (4/4ページ)

東京ブレイキングニュース

「もし、避難所ができていれば、多くの人が助かったかもしれない」

 そう思わせた「佐藤山」の事例がある。石巻市と同様に被害の大きかった東松島市。その中でも犠牲が目立ったのは野蒜地区だ。死亡者は323人。地域の12.78%が亡くなった。地区別では最も多くの人数が犠牲となり、死亡率も大塚地区(137人が死亡)に次いで二番目だ。

 その野蒜地区に手作り避難所がある。高さ30メートルの岩山だが、登り口には「災害避難所(津波)」と書かれた看板を設置していた。頂上には小屋とあずま屋、展望台がある。土地の所有者、佐藤善文さんが自費で作った私設避難所だ。東日本大震災では70人がこの山に登って助かった、という。

 長面地区の永沼さんは、今後もくるだろう津波から郷土を守ることを諦めているわけではない。同じ思いを持っている住民がまだ他にもいるという。そのため、私有地に盛り土して、乗用車でも避難できるスペースも作ろうとしている。また、新北上川河口に「津波防護丘」であり、「東日本大震災追悼の丘」として「朝日と夕日の見える丘(仮称)」をつくるように行政に働きかけている。

「震災があっても、郷土を守りたい、という気持ちは変わらない」

Written Photo by 渋井哲也

「【東日本大震災】大川小学校の悲劇と地元に伝わる"ある伝承"」のページです。デイリーニュースオンラインは、伝承大川小学校東日本大震災カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る