円広志 パニック障害で苦悩生活。医師から「死なないと治らない」と言われた (1/2ページ)

学生の窓口

6日の「八方・陣内・方正の黄金列伝 」(読売テレビ)にゲスト出演した歌手の円広志。
パニック障害で、絶望な時期を過ごしていたことを明かした。

1978年にヤマハのポプコンでグランプリを受賞し、「夢想花」でデビューして大ヒット。
最初に入ってきた印税は600万円だった。
それ以降、曲を書いてもボツになり、ヒット曲に恵まれなかったが、印税で飲み歩き、お金はあるが精神的にはすさんだ生活をしており「一発屋」と言われた。

お金が底をついた頃、頼まれて作った森昌子の「越冬つばめ」が大ヒット。
その後、島田紳助に面白さを引き出されて人気があがり、レギュラー番組を10本以上抱えるほどになった。
当時は、ヤマハ所属のアーティストで、20万円の給料制。
「おかしいなあ」と思い、「2倍にしてもらえませんか?」と言ったらあっさりOKされて40万円にアップ。
1年ぐらいしてまた交渉したら倍になり、80万円になった。
「なんで簡単にあげてくれるの?」と思い、「歩合制にしてくださいと言ったら600万ぐらいになった。これはいかんと思って独立した」と、独立して個人事務所を立ち上げた。

それまでは、テレビは遊び場だったのが、独立したことでお金を稼ぐ手段になり、それが大きなプレッシャーとなった。
そして、「パニック障害という得体の知れない病気にかかってしまった」と告白。
「すべてのものが増幅される」と表現した円。
悲しみが1つあると5つぐらいに感じてしまい、夕方が怖くて4時ぐらいから毎晩泣くほど精神的不安定になった。

異変に気づいたのは、番組収録中。
ずっとスタジオが揺れているため、自分の体を揺らさないと真っ直ぐにならなかった。
カメラが寄ってきたときは我慢するが、自分が映っていないときは体を揺らしていた。
当時は「パニック障害」という言葉もなく、理解不能の症状で病院に駆け込んだが、「君の病気は死なないと治らないよ」と医師から言われて絶望。

「円広志 パニック障害で苦悩生活。医師から「死なないと治らない」と言われた」のページです。デイリーニュースオンラインは、エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧