弘兼憲史×萩本欽一 欽ちゃんとドンと「新老人」を楽しもう!(2)年を意識するのは階段を上る時だけ (2/2ページ)

アサ芸プラス

記憶力も衰えてないみたいですし。

萩本 でも、授業のノートをとり始めたのは、大学に入ってちょうど1年たってからなんですよ。

弘兼 えっ!? じゃあ最初は授業を聞いてるだけだったんですか?

萩本 ええ、しかも聞いてたら職業病が出てしまって、頭の中で先生の話に全部ツッコミを入れてたんです。「ブッダが生まれたとたんに7歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して『天上天下唯我独尊』と言った」とか聞いても「バカヤロー、生まれてすぐしゃべるわけないだろう」とか「誰が7歩って数えたんだ、6歩かもしれないだろう」とか。

弘兼 アハハハハハハ!

萩本 でも、試験では先生の言ったことが問題として出題されて、黒板に書いてあることが全部テストの答え。それに気づくのに、1年かかりました(笑)。

弘兼 でも、いいですね。何年で卒業しなきゃいけないっていう制約も別にないんですよね?

萩本 そうですね。1年かけて勉強のしかたがわかったので、「これ、もう少しやったらもっとおもしろくなるんじゃないか」と思って、少しダブろうかな、と。今はだいたい6年ぐらいで卒業できればいいんじゃないかって思ってます。

弘兼 昔は、8年生とかいっぱいいましたよね。

萩本 ですから、学生たちに言ってるんですよ。「お前ら、親の金で行ってるからそういうワガママができないだろ。俺がいちばん優雅な大学生だ。こんなおもしろいところから、慌てて卒業することはない」なんてね(笑)。

弘兼 確かに(笑)。でも、それができるのは、萩本さんだからこそですよ。

萩本欽一(はぎもと・きんいち) 1941年東京都出身。66年に坂上二郎と「コント55号」を結成、たちまちお茶の間の人気者に。80年代には「欽ちゃんのどこまでやるの!?」などで視聴率「100%男」の異名を取るまでに。昨年4月に駒澤大学仏教学部に入学、大きな話題を呼んだ。

弘兼憲史(ひろかね・けんし) 1947年山口県出身。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)勤務後、74年に漫画家デビュー。主な代表作は「島耕作」シリーズ、「黄昏流星群」など。

「弘兼憲史×萩本欽一 欽ちゃんとドンと「新老人」を楽しもう!(2)年を意識するのは階段を上る時だけ」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2016年 4/14号萩本欽一弘兼憲史エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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