歌謡(うた)のマドンナ 石原詢子 怖いもの知らずで上京し、四畳半の部屋で味わった恐怖 「留守中に侵入者!? 下着を盗まれたことも…」 (1/3ページ)

週刊実話

歌謡(うた)のマドンナ 石原詢子 怖いもの知らずで上京し、四畳半の部屋で味わった恐怖 「留守中に侵入者!? 下着を盗まれたことも…」

 −−NHK紅白歌合戦にこれまで2回出場するなど、人気歌手の地位を築いている石原詢子。4歳の時から、詩吟「揖水流」家元である父の厳しい指導のもと、詩吟を学んでいた。
 「朝から晩まで詩吟中心の生活。テレビで見た演歌歌手に憧れると同時に、そんな息苦しい家を早く出たい気持ちがありました。ツテなんてありませんでしたが、とにかく東京に出れば何とかなるだろうと(笑)」

 −−出身は岐阜県揖斐郡。山に囲まれた田舎町で育った。高校卒業と同時に上京すると、新聞配達などのアルバイトをしながら歌のレッスンを受けた。しかし、そんな夢見る彼女に心が折れそうになる出来事が起こる。
 「新聞販売店の寮は四畳半でトイレは共同。冷蔵庫もエアコンもなし。周りは男の人ばかり。私は2階の部屋だったんですけど、鍵はフックを掛けるだけの簡単なものしかない。何度も下着を盗まれたり、留守の間に誰か侵入した気配があったり、それはもう怖かったです。仕方なく半年で、ちゃんと鍵があるアパートに移りました。女の子がそんな所に住むなんて今なら絶対に考えられませんけど、怖いもの知らずだったんですね。とにかくお金がなくてお風呂にも行けず、台所で身体を洗ったこともよくありますよ(笑)」

 −−そう笑い飛ばすが、18歳の少女にとってはあまりに厳しい東京の洗礼だったに違いない。やがて1年が過ぎた頃に転機が訪れる。
 「歌のレッスンの先輩から誘われて1週間だけ手伝いに行ったお店で、お客さんとして来ていたレコード会社の人を紹介され、トントン拍子にレコード会社も事務所も決まったんです。まさに運命でしたね」

 −−'88年10月『ホレました』でデビュー。だが現実は、想像していた華やかな世界とはかけ離れていた。
 「デビューして最初の仕事は、仙台駅の近くのスーパーでした。レジのすぐ横で、ミカン箱を並べた上に板を敷いたステージ。“何これ?ここで歌うの!?”と打ちひしがれましたね。お客さんも10人もいないくらい。衣装もボディーラインがピチッと出るミニスカートのもので、“こんなの恥ずかしい!”と思ってました(笑)。あとは、カラオケ喫茶やカラオケスナックを1日に何軒も回る地道なキャンペーンがメーン。

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