ぼんやり時間が脳にいい!電車内でゲームしても何も悪くない理由 (3/3ページ)
つまり、気分よくぼんやりできるということ。
■ぼんやりのための手間をかける
なにもしない、ぼんやりできる時間をつくるのは、意外に難しいもの。しかし著者は、ゲームというツールを用いることによってそれを確保しているというわけです。
そして、そんなことをしているからこそ、「いろいろなものに追われる現代日本では、せめて電車のなかくらいは、ぼんやりするためにゲームをしてもよいのではないか」という発想になるというわけです。
だから著者自身も、ゲームをするのはたいてい移動中。そして飽きたら、ボーッとするための新しいゲームを懸命に探すのだそうです。そして、「ぼんやりするため、この程度の手間は惜しんではならない」とも記しています。
*
このトピックからもわかる通り、著者の発想は実にユニーク。適度のユーモラスでもあるので、他の項目も含め、リラックスしながら読み進めることができるはずです。
(文/作家、書評家・印南敦史)
【参考】
※成毛眞(2016)『これが「買い」だ 私のキュレーション術』新潮社