もしも明日死ぬとしたら最後に何を伝えたいか。もしも伝えられなかったら… (1/2ページ)

心に残る家族葬

もしも明日死ぬとしたら最後に何を伝えたいか。もしも伝えられなかったら…

辞世の句というものをご存知だろうか。この世を去る前や、死期を宣告され、残された時間にこの世の別れとして読む歌のことを言う。その形は漢詩であったり、和歌であったり様々である。有名なものとして、幕末の思想家・吉田松陰が弟子宛に詠んだ「身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」や、織田信長が詠んだ「人間50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を受け 滅せぬもののあるべきか」などがある。

■伝えられずに死んだとしたら、きっと後悔するだろう

こうしてみると辞世の句というものは何か歴史上の人物や有名人の占有物のような感じを受ける。が、しかし、これは相当の精神力を有するものだと思う。自分の死期を感じ、なおもこのような精神状況を保つことは想像するに難しい。もし、自分が同じ立場だったなら・・・、このような歌は詠めないだろうと思う。短歌であれば、31文字に、俳句であれば17文字に。自分の人生を振り返り、なおものちに残したい想いを詠むと言うことは並大抵のことではないだろう。

なぜこのような話をするのかというと最近、「人間の死」を考えることが増えたからだ。きっかけは祖父の死ということもあるが、一番の理由はテレビをつければ毎日のように流れてくる訃報を見て、人が死ぬということはこうも当たり前に受け取られ、流されていくのだろうかと考えたからだ。もし、仮に、今すぐに死んでしまったらどうだろうか。大切な家族にも、友人にも一言も言えず死んでしまう。自分の持っている財産、資産、宝物の分配を伝えられていない。きっと、死んでも死にきれず、後悔してしまうのではないだろうか。これは個人的な感情だが、私だったらとても後悔するだろう。

■伝えたいことがあるならば何かを書き残すべき

最近、そのようなことがないようにあらかじめ、自分の希望を記すノートが流行している。いわゆる「エンディングノート」だ。一言で言い表すと「法的効力を持たない遺書」のことを言う。一般的に認知されている遺言書が故人の財産分与を規定し、そこに法的効力が生ずるというのに対し、エンディングノートは法的効力を持たず、単に個人の遺志を書き記すものである。

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