年間8億円荒稼ぎの「ボッタクリ帝王」が明かしたワル手口(3)話術の勉強で寄席に通った (2/2ページ)

アサ芸プラス

 客を脅すことができないなら、客を納得させて金を獲ろう、と。

 それからは“勉強”に明け暮れる。ヒマさえあれば六法全書片手に、刑法から民法、法律用語を勉強。法知識で料金体系を理論武装し、言葉でやり込めるため、話術の勉強として寄席に通った。その努力が実を結び、頭角を現していく。

 翌年には早くも店を任されて店長となる。いよいよ影野氏に飛躍のチャンスがやって来た。風営法が大幅に改正され、摘発や逮捕を恐れたオーナーは店舗を名義ごと貸し出すことを考えるようになったのだ。影野氏にもオーナーから話が回ってきた。

 独立にあたり約400万円の金を要求されたが、ここは勝負の時、と全財産を吐き出し契約を結んだ。

 経営者になった影野氏は今まで以上にボッタクリにのめり込んでいった。

 何せ25歳の影野氏が最年長という、若い従業員ばかりの店だ。

「今、思い出しても、ゾッとするぐらいの怖いもの知らずだった」(影野氏)

 とにかく営業はイケイケで、客をタダでは帰さない。

 絶対にパンク(追加を払わない客)を出さないことを必須とした。パンクを出さないで売り上げを伸ばせば、キャッチは稼げるので必ず影野氏の店に客を入れる。おかげで店は順調だった。影野氏はある日、店の従業員たちに声をかけた。

「ヒマしてるなら表で女でも引っ張ってこい」

 このひと言で歌舞伎町にスカウトマンが誕生。スカウト部隊の結成となり、影野グループは、若いキャッチガールを使ったキャッチバーの元祖になった。この中から先の女帝・アヤカも生まれてきたのである。

 その結果、影野氏は歌舞伎町で「ボッタクリの帝王」とまで呼ばれ、20年間も君臨した。グループ全体で売り上げは年間8億円を超え、多くの愛人も抱えた。月に1000万は歌舞伎町で飲んで還元もしていたと、影野氏は豪語する。

笹川伸雄(ジャーナリスト)

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